by わっさーオグデン
わっさーオグデン (@OgdenMorro) | Twitter
- 自分を変えたい
- ストレスを感じやすい
- “死”についてあまり考えたことなかった
「もし、明日死ぬとしたら今日という日をもっと頑張れる」というようなフレーズを一度くらいは耳にしたことがあるかと思います。本記事は、頑張れるとかどうかは別として『死を想う』ことで、それが人にとって本当にプラスに作用するのかどうか、というお話です。
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古来から多くの賢人が残す「死を想え」
1998年にスティーブ・ジョブズ氏が、スタンフォード大学の卒業スピーチで語った一説があります。
「17歳の時にこんな言葉を読みました。『毎日を最後の日であるかのように生きなさい。いつか必ずひとかどの人物になれる。』私は感銘を受けました。それから33年間、毎朝鏡を見て問いかけました。『今日が人生最後の日なら、今することは自分がしたいことだろうか?』答えが“ノー”であるときはいつも何かを変える必要があるとわかります。」
また、2000年前のストア派の哲学者セネカは「生涯をかけて学ぶべきことは、死ぬことである」とし、紀元前23年のローマ詩人オラティウスは「明日のことはできるだけ信用せず、その日の花を摘め」と歌い、聖書には「飲みかつ食べよう、明日には死ぬのだから」と記されています。
しかし、ジョブズ氏や古来の賢人たちが残した言葉にしたがい『死を想う』ことによって、私たちは今日という日をより良く生きることができるのでしょうか?
死を想うことがプラスになった例
社会心理学の研究によれば、答えは諸刃の剣になるといいます。まずは、死を想うことがプラスに働いた例を紹介します。
フロリダ州立大学のマシュー・ガイリオット博士は「死を想うと人間は他者に優しくなれる」といいます。2008年に博士が行った実験では、墓場の前を通るように支持された被験者は、すれ違った人が落としたものを拾ってあげる確率が40%も高かったそうです。2010年の追試でも同じ結果が出ており、自分の死を考えるように誘導された被験者は地球環境やコミュニティへの感謝の気持ちが増し、エコロジーや寄付活動に友好的な態度を取るようになったそうです。
これは、死について考えた者は死に対する不安をやわらげるために、何かにすがりたい気持ちが芽生えることによるものだとしています。国家や宗教、地元の仲間だったりスケールは様々ですが、本人が安心できるサイズ感なら何でもいいそうです。そして、見つけた自分の頼れるものに投資するようになります。
見知らぬ人の落とし物を拾ったり、寄付を行うことにより『自分はより大きな集団の一部なのだ』という思いになり、死の恐怖をやわらげようとするのです。2011年の東日本大震災では「地域のきずなが強くなった」等の報告が各地からあがりました。これもまた、死の恐怖に対する防衛反応だと解釈できます。
死を想うことがマイナスになった例
一方で、死を想うことがマイナスにはたらく場合も珍しくないようです。
2001年に起きたアメリカ同時多発テロでは、事件直後から行われた調査で、同時多発テロに関連するキーワード(911やワールドトレーディングセンターなど)提示された被験者の多くは、反射的に自殺や殺人といった“死”に関する思考が浮かびやすくなったそうです。FBIの統計によれば、2000年には33件だったイスラム系へのヘイトクライムがテロ発生後は600件まで急増し、5年後の再調査でもヘイトクライムの件数は同水準のままでした。
ロンドン大学の研究では「早死にするのは怖いですか?」や「自分が死ぬときは、みんなの記憶に残りたいですか?」などを質問し、全員に死の恐怖を思い出させたあとで、被験者がどれだけ健康な食事をしたくなったか尋ねました。死を想い「長生きしたい」と考えた者は野菜を食べたり運動をする気持ちが高まったのに対し、死を想い「どうせ死ぬのだから」と考えた者はジャンクフードやタバコへの欲求が増えたのです。
まとめ:もし明日死ぬとしたら?『死』について考えることはプラスかマイナスか?
「死を想う」ことで、その恐怖から逃れるために何かにすがり、その対象に投資しようとします。それが、結果的に自分にとってプラスに作用するのは確かなようです。しかし、死の受け取り方によってはマイナスに作用することもあり、諸刃の剣であることも事実です。
あなただったら、“死”をどのように受け止め、どのように行動しますか?
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
オグデンでした〜。
あぷりしえいてぃっ ( ^^) _U~~
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